松下幸之助「敵に教えられる」
己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる。
己が正義で、相手は不正義なのである。
いわば敵なのである。
だから憎くなる。
倒したくなる。
絶滅したくなる。
人間の情として、これもまたやむを得ないかもしれないけれど、われわれは、わがさまたげとばかり思いこんでいるその相手からも、実はいろいろの益を得ているのである。
相手がこうするから自分はこうしよう、こうやってくるなら、こう対抗しようと、あれこれ知恵を絞って考える。
そして次第に進歩する。
自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのである。
相手の刺激で、わが知恵を絞っているのである。
敵に教えられるとでもいうのであろうか。
倒すだけが能ではない。
敵がなければ教えもない。
したがって進歩もない。
だからむしろその対立は対立のままにみとめて、たがいに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。
つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである。
それが自然の理というものである。
共存の理というものである。
そしてそれが繁栄の理なのである。
(参考文献 道をひらく 松下幸之助)
(感想)
ライバルと切磋琢磨してともに成長する。
スポーツや少年漫画でよく描かれる内容だが、ビジネスの世界でも通じる。
競合他社の商品が素晴らしければ、その商品にない魅力を探す、もしくはその商品より優れた部分を探す。
他社品があるから、もっとよくしよう、もっと性能アップさせようとおたがいに研究し合い向上する。
商品としての性能がアップすればするほど、その恩恵は消費者が受けることになり、世の中にも貢献できる。
単純な価格競争に陥るのではなく、性能・品質の部分で勝負して、これからも貢献していきたい。
松下幸之助「コンプライアンス」
いかに強い力士でも、その勝ち方が正々堂々としていなかったら、ファンは失望するし、人気も去る。
つまり、勝負であるからには勝たなければならないが、どんなきたないやり方でも勝ちさえすればいいんだということでは、ほんとうの勝負とは言えないし、立派な力士ともいえない。
勝負というものには、勝ち負けの他に、勝ち方、負け方というその内容が大きな問題となるのである。
事業の経営においても、これと全く同じこと。
その事業が、どんなに大きくとも、また小さくとも、それが事業である限り何らかの成果を上げなければならず、そのためにみんなが賢明な努力を続けるわけではあるけれども、ただ成果を上げさえすればいいんだというわけで、他の迷惑もかえりみず、しゃにもに進むということであれば、その事業は社会的になんらの存在意義も持たないことになる。
だから、事業の場合も、やっぱりその成果の内容―つまり、いかに正しい方法で成果を上げるかということが、大きな問題になるわけである。
むつかしいことかもしれないが、世の人々が、みんなともどもに繁栄していくためには、このむつかしいことに、やはり成功しなければならないと思うのである。
(参考文献 道をひらく 松下幸之助)
(感想)
コンプライアンス遵守という言葉が昨今よく使われているが、松下さんが言っていることにも通じている。
商売のやり方は何でも良いというわけではなく、このコンプライアンスを守った上で成り立つものだ。
粉飾決算や脱税、検査偽装、産地偽装、個人情報流出、サービス残業など、最近世の中を騒がすニュースの中には、これらコンプライアンス違反をおかした例がほとんどだ。
改めて商売の基本として心に留めておきたい。
松下幸之助「道をひらく」
富士山は西からでも東からでも登れる。
西の道が悪ければ東から登ればよい。
東がけわしければ西から登ればよい。
道はいくらでもある。
時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。
一つの道に執すれば無理が出る。
無理を通そうとするとゆきづまる。
動かない山を動かそうとするからである。
そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、またそこに新しい道がひらけてくる。
何事もゆきづまれば、まず自分のものの味方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の味方のあることを忘れがちである。
そしてゆくづまったと言う。
ゆきづまらないまでも無理をしている。
貧困はこんなところから生まれる。
われわれはもっと自在でありたい。
自在にものの見方を変える心の広さを持ちたい。
何事も一つに執すれば言行公正を欠く。
深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。
それで悪ければ、また見方を変えればよい。
そのうちに、本当に正しい道がわかってくる。
模索の本当の意味はここにある。
そしてこれができる人には、ゆきづまりはない。
おたがいにこの気持ちで、繁栄への道をさぐってみたいものである。
(参考文献 道をひらく 松下幸之助)
(感想)
一つの道や、やり方に固執すると行き詰まる。
そういう時は、別の道、やり方に変えれば新しい道が見えてくる。
若いときはこれがわからなかったので、自分一人でよく悩んでいた。
周りに良い先輩や上司がいると、行き詰まったときに助けてくれる。今はどちらかというと、自分が後輩を助ける立場だ。
経験を積むと一つの目的に対して、様々なやり方があることを知る。どのプロセスがベストなのかを判断できるチカラを持つことができる。
私自身は、このブログでライティングの修行中。まだまだ未熟でもっと経験を積んでいきたいと思っている。
いずれは誰かに指導できるくらいのレベルに達することが目標ですが、まだまだ道は遠いですね。
日々前進!頑張ります!
松下幸之助「信頼関係」
人から何かを命ぜられる。
その命ぜられたことをその通りにキチンとやる。
そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するかどうか。
命ぜられたとおりにやって、その通りうまくいったのだから、もうそれでよいと考える人。
いや、たとえ命のままにやったとしても、その結果は一応キチンと報告しなければならない、そうしたら命じた人は安心するだろうと考える人。
その何でもない心がけ、ちょっとした心の配り方のちがいから、両者の間に、信頼感にたいする大きなひらきができてくる。
仕事には知恵も大事、才能も大事。
しかし、もっと大事なことは、些細と思われること、平凡と思われることも、おろそかにしない心がけである。
むつかしいことはできても、平凡なことはできないというのは、本当の仕事をする姿ではない。
些細なこと、平凡なこと、それを積み重ね積み重ねて、そのうえに自分の知恵と体験とを加えてゆく。
それではじめて、あぶなげのない信頼感が得られるというものであろう。
賽の河原の小石はくずれても、仕事の小石はくずれない。
(参考文献 道をひらく 松下幸之助)
(感想)
ビジネスにおいて最も大事なのは信頼関係と言っても過言ではない。
それが築けていないと何事もうまく行かない。
それは小さなこと、当たり前のこと、簡単なことを地道に積み重ねることで、築くことができる。
手っ取り早く信頼関係を築こうとしても必ず失敗する。
焦りは禁物、慎重に。
また信頼関係は逆にほんの僅かなミスで、壊れることもあるが、築いてきた期間が長ければ修復する期間は短い。
とにもかくにも相手に対し誠心誠意向き合うことである。
松下幸之助「力をつくして」
どんな仕事でも、一生懸命、根限りに努力したときには、何となく自分で自分をいたわりたいような気持が起こってくる。
自分で自分の頭をなでたいような気持になる。
今日一日、本当によく働いた、よくつとめた、そう思うときには、疲れていながらも食事もおいしく頂けるし、気分もやわらぐ。
ホッとしたような、思い返しても何となく満足したような、そして最後には「人事をつくして天命を待つ」というような、心のやすらぎすらおぼえるものである。
力及ばずという面は多々あるにしても、及ばずながらも力をつくしたということは、おたがいにやはり慰めであり喜びであり、そしていたわりでもあろう。
この気持ちは何ものにもかえられない。
金銭にもかえられない。
金銭にかえられると思う人は、本当の仕事の喜びというものがわからない人である。
仕事の喜びを味わえない人である。
喜びを味わえない人は不幸と言えよう。
事の成否も大事だけれど、その成否を超えてなお大事なことは、力をつくすというみずからの心のうちにあるのである。
(参考文献 道をひらく 松下幸之助)
(感想)
サラリーマンを20年以上やっていて、仕事が本当に楽しい時思えてきたのはここ最近かもしれない。
そう思えるまでは、毎週日曜日の夜にサザエさん症候群に陥っていた。
今はどちらかというと逆で、日曜日の夜ワクワクしていることのほうが多い。
この違いは何か。
松下幸之助さんの言う「人事をつくして天命を待つ」の状態になれているのかもしれない。
仕事に対して逃げ腰ではなく、微力ながらも誠心誠意全力で立ち向かおうと思えたときに、私は変われたような気がする。
松下幸之助「熱意があれば何でも出来る」
磁石は鉄を引き付ける。
何にも目には見えないけれども、見えない力が引き付ける。
自然に鉄を引き寄せる。
人が仕事をする。
その仕事をする心がけとして、大事なことはいろいろあろうけれども、やっぱり一番大事なことは、誠実あふれる熱意ではあるまいか。
知識も大事、才能も大事。
しかし、それがなければ、本当に仕事ができないというものでもない。
たとえ知識が乏しく、才能が劣っていても、なんとかしてこの仕事をやり遂げよう、なんとしてでもこの仕事をやりとげたい、そういう誠実な熱意にあふれていたならば、そこから必ずよい仕事が生まれてくる。
その人の手によって直接にできなくとも、その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然に周囲の人を引きつける。
磁石が鉄を引きつけるように、思わぬ加勢を引き寄せる。
そこから仕事が出来てくる。
人の助けで、出来てくる。
熱意なきひとは、描ける餅の如し。
知識も才能も、熱意がなければ無に等しいのである。
おたがいに一生懸命、精魂込めて毎日の仕事に打ち込みたい。
(参考文献 道をひらく 松下幸之助)
(感想)
なんとなくわかる気がします。
最終的には熱意のあるものが勝つ。
のび太でも(ドラエモンのためにという)熱意があれば、ジャイアンに勝つことが出来たように、気持ちの強さが勝敗を決める。
不可能を可能にする。
ダイエットの成功も気持ちの強さで決まる。
熱意があれば何でも出来る!
松下幸之助「本気の商売」
こどもが親につきまとう。
うるさいほどにつきまとう。
ときに閉口するほどのことがあっても、それでも、つきまとわれればやっぱりかわいい。
うれしい。
自分のつくった製品、自分の売った商品、自分のやった仕事。
つくりっ放し、売りっ放し、やりっぱなしでは心が残る。
世間にもまた仕事にも相すまない。
おたがいに、つくることに真剣で、売ることに誠実で、そして仕事に真実熱心ならば、その製品、その商品、その仕事のゆくえをしっかり見定めたい。
見定めるだけでなく、どこまでも、いつまでも、それについてまわりたい。
台所に入れば台所へ、座敷に上がれば座敷へ、外国に行けば外国までも、どこまででもうるさいほどにつきまといたい。
使い具合はどうですか、調子はどうでしょう、ご不便はございませんか、故障はありませんか。
ときに閉口されるほどであっても、仕事の成果を案ずるその真剣さ、誠意はうれしい。
ありがたい。
こんな心がけで、おたがいにつくりたい。
売りたい。
そして懸命に仕事をしたい。
(参考文献 道をひらく 松下幸之助)
(感想)
20年以上サラリーマンをしていて感じることですが、一緒に仕事をしていて気持ちがいいなと感じる人が時々います。
そのような人というのは、必ずご自身の仕事に対して真剣で誠実で頑張り屋さんです。
こちらに対するきめ細かい気遣いがあり、真剣にこちらに向き合ってくれているなと感じることができます。
自分自身のことを振り返ると、若いときの自分は上記のようにお客さんに接していなかったと思います。
私は転勤族なので、3~4年我慢をすれば、どこか他の勤務先に移るから、どこか手を抜いたところがあったのかと思います。
そんなときの仕事はやはり中途半端で上手く行ってなかったと思います。
自分は転勤族かもしれないが、そこにいるお客様はその場で真剣に取り組んでいる。
そこに対して自分も真剣に向き合わないと失礼に当たる。
現在では相手に真剣に向き合い、本気で取り組んでおりますが、これからも今以上に、本気の商売を楽しめるようやっていきたいです。