松下幸之助「怖さを知る」

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こどもは親がこわい。

店員は主人がこわい。

社員は社長がこわい。

社長は世間がこわい。

また、神がこわい。

仏がこわい。

人によっていろいろである。

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こわいものがあるということは、ありがたいことである。

これがあればこそ、かろうじて自分の身も保てるのである。


自分の身体は自分のものであるし、自分の心も自分のものである。

だから、自分で自分を御すことは、そう難しいことでもないように思われるのに、それが馬や牛を御すようには、なかなかうまくゆかないのが人間というもので、いにしえの賢人も、その難しさには超嘆息の体である。


ましてわれわれ凡人にとっては、これは難事中の難事ともいうべきであろう。
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せめて何かのこわいものによって、これを恐れ、これにしかられながら、自分で自分を律することを心がけたい。


怖いもの知らずということほど危険なことはない。

時には、なければよいと思うようなこわいものにも、見方によっては、やはり一利があり一特があるのである。

(参考文献 道をひらく 松下幸之助

(感想)
今自分が怖いものとは何だろう。
サラリーマンとして会社に縛られているのでやはり社長になるのか。あまり怖いと感じたことはないが、クビにされると困る。
自分を律するために会社がある。
組合活動をしているときは逆に考えていた。
会社を律するために自分がいる。
社員がいなくなれば会社は成り立たない。
お互い持ちつ持たれつなんだろうな。
より良い会社にする。
より良い社員になる。

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