こどもは親がこわい。 店員は主人がこわい。 社員は社長がこわい。 社長は世間がこわい。 また、神がこわい。 仏がこわい。 人によっていろいろである。 こわいものがあるということは、ありがたいことである。 これがあればこそ、かろうじて自分の身も保て…
人間というものはまことに勝手なもので、他人をうらやみ、そねむことがあっても、自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということは案外、気の付かないことが多い。 だからちょっとしたことにも、すぐに不平が出るし不満を持つのだが、不平や不満の心から、…
獅子はわが子をわざと谷底に突き落とす。 はげしい気迫である。 きびしい仕打ちである。 だがその厳しさのなかで、幼い獅子は消してへこたれない。 必死である。 真剣である。 そして、いくたびかころび落ちながらも、一歩一歩谷底から這い上がる。 這い上が…
月に向けてロケットを発射する。 轟音とともにたちまち天空高久飛び立って、もはや人間の目には届かない。 しかし追跡装置が完備して、どこまでもこれを追う。 何千キロ、何万キロ、月の表面に至るまで、刻々にこれを追う。 追求する。 だからこそ、ロケット…
昔は、お店に何年かつとめて番頭さんになったら、やがてノレンをわけてもらって、独立して店を持ったものである。 今でもそういうことが、一部で行われているかもしれないけれど、それでも世の中はずいぶん変わった。 生産も販売もしだいに大規模になって、…
経営というものは不思議なものである。 仕事というものは不思議なものである。 何十年やっても不思議なものである。 それは底なしほどに深く、限りがないほどに広い。 いくらでも考え方があり、いくらでもやり方がある。 もう考えつくされたかと思われる服飾…
失敗するよりも成功したほうがよい。 これはあたりまえの話。 だが、三べん事を画して、三べんとも成功したら、これはちょっと危険である。 そこからその人に自信が生まれ確信が生じて、それがやがては「俺にまかせておけ」と胸をたたくようになったら、もう…
己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる。 己が正義で、相手は不正義なのである。 いわば敵なのである。 だから憎くなる。 倒したくなる。 絶滅したくなる。 人間の情として、これもまたやむを得ないかもしれないけれど、わ…
いかに強い力士でも、その勝ち方が正々堂々としていなかったら、ファンは失望するし、人気も去る。 つまり、勝負であるからには勝たなければならないが、どんなきたないやり方でも勝ちさえすればいいんだということでは、ほんとうの勝負とは言えないし、立派…
富士山は西からでも東からでも登れる。 西の道が悪ければ東から登ればよい。 東がけわしければ西から登ればよい。 道はいくらでもある。 時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。 一つの道に執すれば無理が出る。 無理を通そうとするとゆきづま…
人から何かを命ぜられる。 その命ぜられたことをその通りにキチンとやる。 そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するかどうか。 命ぜられたとおりにやって、その通りうまくいったのだから、もうそれでよいと考える人。 いや、た…
どんな仕事でも、一生懸命、根限りに努力したときには、何となく自分で自分をいたわりたいような気持が起こってくる。 自分で自分の頭をなでたいような気持になる。 今日一日、本当によく働いた、よくつとめた、そう思うときには、疲れていながらも食事もお…
磁石は鉄を引き付ける。 何にも目には見えないけれども、見えない力が引き付ける。 自然に鉄を引き寄せる。 人が仕事をする。 その仕事をする心がけとして、大事なことはいろいろあろうけれども、やっぱり一番大事なことは、誠実あふれる熱意ではあるまいか…
こどもが親につきまとう。 うるさいほどにつきまとう。 ときに閉口するほどのことがあっても、それでも、つきまとわれればやっぱりかわいい。 うれしい。 自分のつくった製品、自分の売った商品、自分のやった仕事。 つくりっ放し、売りっ放し、やりっぱなし…
射場に行って射撃の練習をすると、遠い標的の下に監視の人がいて、発射のたびに旗を振ってくれる。 その旗の振り具合で、狙いが的を射たか、はずれたか、または右にそれたか左にそれたかが、一目でわかり、次の狙いを修正する。 こんなことをくり返して、し…
額に汗して働く姿は尊い。 だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。 それは東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。 東海道五十三次も徒歩からカゴへ、カゴから汽車へ、そして汽車から飛行機へと、日を…
ひろい世の中、長い人生、いつも心楽しいことばかりではない。 何の苦労もなく、何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、これはこれでまことに結構なことであるけれど、なかなかそうは事が運ばない。 ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、思案に余る窮境に…
おたがいに神様ではないのだから、一人の知恵には限りがある。 それがどんなに偉い人であっても、やっぱりその人ひとりの知恵には限りがある。 こんな限りのある知恵で人生を歩み、広い世の中を渡ろうとするのだから、ともすればあちらで迷い、こちらでつま…
人間おたがいに落ち着きを失ってくると、他人の庭の花が何となく赤く見えてきて、コツコツまじめにやっているのは自分だけ、人はみなぬれ手でアワ、ラクをしながら何かぼろいことをやっているように思えてならなくなる。 だから自分も何か一つと思いがちだが…
窮屈な場所に窮屈にすわっているち、血の巡りも悪くなって足もしびれる。 身体が固くなって自由な動作がとれないのである。 無作法は困るけれど、窮屈はなおいけない。 やっぱり伸び伸びとした自由な姿が欲しいものである。 どんな場合でも、窮屈はいけない…
嵐が吹いて川があふれて町が流れて、だからその町はもうダメかと言えば、必ずしもそうではない。 十年もたてば、流れもせず、傷つきもしなかった町よりも、かえってよけいにきれいに、よけいに繁栄していることがしばしばある。 大きな犠牲で、たいへんな苦…
何事においても辛抱強さというものが大事だが、近ごろはどうもこの忍耐の美徳というものがおろそかにされがちで、ちょっとした困難にもすぐ参って悲鳴をあげがちである。 そして、事志とちがった時には、それをこらえてさらに精進をし、さらに力を蓄えるとい…
仕事というものは勝負である。 一刻一瞬が勝負である。 だがお互いに、勝負する気迫をもって、日々の仕事をすすめているかどうか。 まず普通の仕事ならば、ちょっとした怠りや失敗があったとしても、別に命を失うということのほどではない。 それでも、とも…
広い世間である。 長い人生である。 その世間、その人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。 程度の差こそあれだれにでもある。 自分だけではない。 そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その人…
動物園の動物は、食べる不安は何もない。 他の動物から危害を加えられる心配も何もない。 きまった時間に、いろいろ栄養がある食べ物が与えられ、保護されたオリの中で、寝そべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。 しかしそれで彼らは喜んでいるのだろ…
何事を成すにも時というものがある。 時―それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。 いかに望もうと、春がこなければ桜は咲かぬ。 いかに焦ろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。 冬が来れば春は近い。 桜は静かにその春を待つ。 それはまさ…
何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、実際はそうは問屋が卸さない。 人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。 しかし本当は、それらのいわば人生の脅…
人間は神様ではないのだから、何もかもが見通しで、何もかもが思いのままで、悩みもなければ憂いもない、そんな具合にはゆかないのである。 悩みもすれば憂いもする。 迷いもする。 わからん、わからん、どうにも判断がつかん、どうにも決心がつかん、そんな…
どんなによいことでも、一挙にことが成るということはまずありえない。 また一挙にことを決するということを行えば、必ずどこかに無理が生じる。 すべてことは、一歩一歩成就するということが望ましいのである。 だから、それがよいことであればあるほど、そ…
自分のしたことを、他の人々が評価する。 ほめられる場合もあろうし、けなされる場合もある。 冷ややかに無視されることもあろうし、過分の評価にびっくりすることもあろう。 さまざまの見方があって、様々の評価である。 だから、うれしくなって心おどる時…