幸せになる勇気 要約

幸せになる勇気
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課題の分離の復習 あなたは他者の期待を満たす
ために生きているのではない。そして他者もまた
あなたの期待をみたすために生きている
のではない。他者の視線に怯えず、他者からの
評価を気にせず、他者からの承認も求めない。
ただ自らの信じる最良の道を選ぶ。
さらに他者の課題に介入してはいけないし
自分の課題に他者を介入させてもいけない。
課題の分離ができれば人間関係の悩みはかなり
軽減される。
それが誰の課題であるか見分ける方法は簡単。
「その選択によってもたらされる結末を、
最終的に引き受けるのは誰なのか?」を考える。

教育は課題の介入になるのでは?
アドラー心理学では教育は中心課題の一つで
最大の希望。アドラー心理学では
カウンセリングのことを「治療」ではなく
「再教育」と考える。
カウンセリングも子供の教育も同じ。
教育の目標は「自立」人はみな無力な状態から
脱し、より向上していきたいという欲求、
つまり「優越性の欲求」を抱えて生きる存在。
自由を求め、無力で不自由な状態からの
自立を求めている。子供たちが、社会的に
自立するにあたっては社会性や正義、
知識などを知らなければならない。
それを知る周囲の人が教えて
援助しなければならない。
教育とは「介入」ではなく「援助」。

尊敬から始めよ。教育だけではない。
あらゆる対人関係の土台は尊敬によって
築かれる。尊敬の念とは人間の姿を
ありのままにみて、その人が唯一無二の
存在であることを知る能力のこと。
尊敬とは、その人がその人らしく
成長発展していけるよう気遣うこと。
いわば「勇気づけ」原点。

「他者の関心ごと」に関心を寄せよ
共同体感覚の意味
社会を形成する「他者」への関心
「他者の関心事」に関心を寄せる。
これは、あらゆる人間関係で求められる、
尊敬の具体的な第一歩。他者の目で見て、
他者の耳で聞き、他者の心で感じること。
子供達の関心事に関心を寄せる。
場合によっては一緒に遊ぶ。

共感とは、他者に寄り添う時の技術であり態度。
もしも私がこの人と同じ種類の心と
人生を歩んでいたら?と考える。
勉強しない子に何故勉強法しないんだと
問いただすのは尊敬を欠いた態度。
もし私がこの子と同じ環境ならどのような
態度を取るか想像する。それが共感。

臆病は伝染する。そして勇気も伝染する。
当然、尊敬もまた伝染する。

「変われない本当の理由」
目的論 人間は過去の原因に突き動かされる
存在ではなく、現在の目的に沿って生きている。
つまり、我々は過去の出来事によって
決定される存在ではなく、その出来事に対して
どのような意味を与えるかによって、
自らの生を決定している。
人間はいつでも自己を決定できる存在。
本当は変わりたくないと思ってるから
かわれない。変化することは死そのもの。
「いま」を肯定するために、
不幸だった過去をも肯定する。

人間の悩み、カウンセリングに使用する三角柱
「悪いあの人」「可愛そうな私」
「これからどうするか」。
カウンセリングに来る人は前者二項目
しか語っていない。
大事なのはこれからどうするか。
建設的で科学的な、人間への尊厳に基づく
人間知の心理、それがアドラー心理学

問題行動の目的
第一段階 「称賛の欲求」
彼らの目的は(褒めてもらうこと)であり
「共同体の中で特権的な地位を得ること。
彼らは褒めてくれる人がいなければ適切な
行動をしないし、罰を与える人がいなければ
不適切な行動もとる。
という世界観を持っている。
なにかいいことをしたときに注目するのでは
なく、もっと日頃の些細な言動に目を向ける。
そしてその人の関心事に注目し共感を寄せること
第2段階「注目喚起」
褒められない、特権的な地位を得られない、
そもそも褒められることをする勇気や
根気がないとき、人はとにかく目立って
やろうと考える。目立って確固たる居場所が
欲しいというのが目的。
できない子として注目を集め、
特別な地位を得ようとする。
対処法、尊厳によって、特別である必要はない
そのままで十分価値があるのだと伝える。
第三段階 「権力争い」
誰にも従わず、挑発を繰り返し、戦いを挑む。
その戦いに勝利することによって、
自らの力を誇示する。
「反抗」罵る、癇癪、暴れる。不従順。無視。
対処法怒りのラケットを打返さない。
すぐさま彼らのコートから退場する。
叱責しても、腹立たしい表情を
浮かべるだけでもだめ。
第4段階 「復讐」
意を決して権力争いを挑んだのに齒が立たない。
勝利を収めることができない。
相手にされず、敗北を喫してしまう。
その人は一旦引き下がり復讐を画策する。
かけがえのない私を認めてくれなかった人、
愛してくれなかった人に、愛の復讐をする。
憎悪という感情の中で私に注目してくれと
考えるようになる。ひたすら相手が嫌がる
ことを繰り返す。例 ストーカー、自傷行為
犯罪、こんなんになったのはお前のせいだ
という思い。
対処法 ない。
利害関係のない第三者に助けを求めるしかない。
第5段階 無能の証明
人生に絶望し自分のことを嫌いになり、
自分には何も出来ないと信じ込むようになる。
そしてこれ以上の絶望を経験しないために
あらゆる課題から逃げるようになる。
周囲に対しては、自分はこれだけ無能なのだから
課題を与えないでくれ、と表名するようになる。
諦めたほうが楽。周囲からの期待拒絶。
対処法 ない。専門家に頼るしかない。

問題行動の大半は第三段階の権力争いに
とどまっている。
そこから先に進ませないようにすること。

まずは称賛を求め、次に注目されんと
躍起になり、それはかなわなければ
権力争いを挑み、今度は悪質な復讐に転じる。
そして最終的には己の無能さを固持する。
往々にしてその全ては「所属感」
つまり「共同体の中に特別な地位を
確保すること」という目的にねざしている。

暴力と言う名のコミュニケーション
議論にうんざりした人、議論では
勝ち目がないと思った人がどうするか。
かれらが最後に選択する
コミュニケーション手段、それが暴力。
暴力とはどこまでもコストの低い、
安直なコミュニケーション手段。
人間として未熟な行為。
もっと別のコミュニケーション手段を
模索しなければならない。
考えるべきはこれからどうするか。
声を荒げたり机を叩いたり、相手を威圧して
自分の意見を押し通そうとする。
これらもまた「暴力的」なコミュニケーション。
生徒たちと言葉でコミュニケーション
することが煩わしく感じ、手っ取り早く
屈服させようとして叱る。
怒りを武器に罵倒という名の銃を構え、
権威の刃を突きつける。未熟で愚か。
裁判官の立場を放棄せよ。
あなたはさばきを下す特権など
与えられていない。
教育者とはカウンセラーであり、
カウンセリングとは再教育である。
叱責を受けたとき、この人は未熟な人間
なのだという洞察が無意識のうちに働く。
未熟な人間を尊敬出来るか。
威嚇してくる相手から尊敬されていると思うか。
叱責が本質的な改善に繋がらないことは
自明の理。怒りとは人と人とを引き離す感情。
変えられないものに執着するのではなく、
眼前の変えられるものを直視すること。


自分の人生は自分で選ぶことが出来る
子供に対して、自分の人生は自分で決めて
いいんだよと、日々の行いは、全て自分で
決定することなのだと教えること。
そして決めるにあたって必要な材料、
たとえば知識や経験、があればそれを
提供して行くこと。
それが教育者のあるべき姿。
子供たちの決断を尊重し、
その決断を援助する。
そしていつでも援助する用意があることを
伝え、近すぎない、援助が出来る距離で、見守る。

共同体の病
民主主義的な共同体とは、競争原理ではない、
協力原理に基づいて運営される共同体。
そのようななかで、生徒たちは
「人々は私の仲間である」という
ライフスタイルを身につける。賞罰をやめ、
競争の芽を一つずつ摘んでいくこと。
強さや順位を競い合う競争原理は、
おのずと「縦の関係」に行きつく。
そうではなくアドラー心理学
協力原理である「横の関係」を提唱する。
誰とも競争することなく、
勝ち負けも存在しない。
他者との間に知識や経験、
また能力の違いがあっても構わない。
学業の成績、仕事の成果に関係なく、
すべての人は対等であり、他者と協力すること
にこそ共同体をつくる意味がある。
アドラー心理学とは、横の関係に基づく
「民主主義の心理学」

褒められることでしか幸せを実感出来ない人は
人生の最後の瞬間までもっと褒められることを
求める。その人は依存の地位に置かれたまま、
永遠に求め続ける生を、永遠に満たされる
ことのない生を送ることになる。
ではどうするか。
他者からの承認を求めるのではなく、
自らの意思で、自らを承認する。
私の価値を自らが決定すること。
これを自立と呼ぶ。普通であることの勇気。
その他大勢としての自分。
人と違うことに価値を置くのではなく、
わたしであることに価値を置く。
それが本当の個性。私であることを認めず、
他者と自分を比べ、
その違いを際立たせようとするのは、
他者を欺き、自分に嘘をつく生き方。
自分の個性とは相対的なものではなく
絶対的なもの。

全ての悩みは、対人関係の悩みである。
という言葉の配後には、全ての喜びもまた、
対人関係の喜びである。
という幸福の定義が隠されている。

仕事の関係は信用の関係であり、
交友の関係は信頼の関係。
仕事の関係とは、なんらかの利害、あるいは
外的要因が絡んだ、条件付きの関係。
たまたま同じ会社にいるから協力する。
人格的には好きではないが、取引先の人間
だから関係を持つし、話もする。
しかしながら、仕事から離れてまで
その関係を保とうとは想わない。
常に仕事という利害によって結ばれた
「信用」の関係。
一方、交友には、この人と交友しなければ
ならない理由が一つもない。
利害もなければ、誰かによって強制される
関係でもない。あくまでも「この人が好きだ」
という内発的な動機によって結ばれていく関係

人間の価値は「どんな仕事に従事するか」
によって決まるのではない。
あの仕事に「どのような態度で取り組むか」
によって決まる。

アドラー心理学の分業
自然界にいる人間はあまりにも弱く、
とても一人で生きていくことが出来ない。
だからこそ我々は群れを作り「分業」という
生き方を手に入れた。そして分業とは好悪を
超えて「他者を信用すること」から始まる。
他者を信用しないと生きていけない。

私を信じてほしいがゆえに私は先に
あなたのことを信じる。
たとえあなたが信じなくとも。
たとえば、子供のことを信頼していない親が、
あれこれと注意するとき。仮にその言葉が
正論であったとしても、子供には届きません。
むしろ正論であればあるほど反発したくなる。
何故か?親がちっとも自分のことを見ておらず
自分に不信感を抱いたまま、
説教をしてくるから。
我々は自分のことを信じてくれる人の言葉
しか信じようとしません。

自分を愛することが出来なければ、
他者を愛することができない。
自分を信じることができなければ、
他者を信じることも出来ない。
我々は仕事に身を捧げるだけでは幸福を
得られない。他者に信頼を寄せて、
交友の関係に踏み出すこと。
我々人間は永遠にわかり得ない関係
だからこそ、信じるしかない。

まずは目の前の人に、信頼を寄せる。
目の前の人と仲間になる。
そうした日々の積み重ねが、いつか
国家間の争いさえもなくしていく。
いいことも悪いことも、目の前のことから
始める。世界から争いをなくしたければ、
まずは自分自身が争いから解放
されなければならない。
生徒たちに自分を信じて欲しいと思うならば、
まずは自分が生徒たちを信じなければならない。
全体の一部である自分が
最初の一歩を踏み出すこと。
われわれにとっては、何でもない日々が
試練であり、今ここの日常に、
大きな決断を求められている。

愛とは落ちるものではなく築き上げるもの。
意思の力によって、何もないところから
築き上げるものだからこそ愛のタスクは困難。
他者を愛する技術。
一人で成し遂げる課題
立つこと歩くこと話すこと
仲間たちと成し遂げる課題 仕事
愛とは二人で成し遂げる課題で、
我々はその技術を学んでいない。
わたしの幸せを突き詰めていくと、
結果として、誰かの幸せに繋がっていく。
分業の関係が成立する。ギブアンドテク。
一方、交友の関係を成立させるのは
「あなたの幸せ」です。ひたすら信じ、
ひたすら与える利他的な態度によって、
交友の関係は生まれる。
では愛の関係とはなにを追求した結果
成立するか。不可分なる「私達の幸せ」を
築き上げること。わたしやあなたよりも
上位のものとして「私達」を掲げる。
愛とは「二人で成し遂げる課題」であり、
そこでは「わたし」の幸せでも
「あなた」のしあわせでもなく,
「わたしたち」の幸せを追い求めなければ
ならない。その時初めて我々は
「わたし」から脱却出来る。
自己中心性から解放され、本当の自立を
果たすことができる。
自立とは子供時代のライフスタイルから
脱却することであり、
自己中心性から抜け出すこと。
我々は皆、命に直結した生存戦略としています
「愛されるためのライフスタイル」を
選択する。それは、いかにすれば他者からの
注目を集め、いかにすれば「世界の中心」に
立てるかを模索する、
どこまでも自己中心的なライフスタイル。
自立とは、経済上の問題でも就労上の問題
でもなく、人生への態度、
ライフスタイルの問題。
我々は他者を愛することによって、
ようやく大人になる。
愛は自立。大人になることです。
我々は多かれ少なかれ親の愛に支配され
生きている。親から愛されることを
求めざるを得ない時代に、自らの
ライフスタイルを選択している。
しかもその「愛されるライフスタイル」を
強化しながら年齢を重ね、大人になっていく。
与えられる愛の支配から抜け出すには、
自らの愛を持つこと。愛すること。
愛されるのを待つのではなく、
自らの意思で誰かを愛すること。
誰かを愛する事は単なる激しい感情ではない。
それは決意であり、決断であり、約束である。
運命とは自らの手で作り上げるもの。
我々は運命の下僕になってはいけない。
運命の主人であらねばならない。
運命の人を求めるのではなく、
運命と言えるだけの関係を築き上げるのです。
愛と結婚はまさしく
二人で踊るダンスのようなもの。
愛とは信念(勇気)の行為であり、
僅かな信念(勇気)しか持っていない人は、
わずかにしか愛することは出来ない。
僅かにしか勇気が持てず僅かにしか愛せない。
愛する勇気、すなわち幸せになる勇気

我々は他者を愛することによってのみ、
自己中心性から解放されます。
他者を愛することによってのみ、
自立を成しえます。
そして他者を愛することによってのみ、
共同体感覚にたどりつく。
愛を知り「わたしたち」を主語に
生きるようになれば、変わります。
生きている、ただそれだけで
貢献しあえるような、人類の全てを包括した
「わたしたち」を実感します。
愛し、自立し、人生を選べ!

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