もし「遊び」を奪われたら人はどうなる
<答え>不幸になる
「生活の為に働き者がいるとすれば、それこそが彼らの真の落ち度なのだ」
ある研究には、ブッシュマンが語ったこんな言葉が記録されています。
人類学の世界では、狩猟採集社会には「重労働」や「苦役」といった概念が存在しないことが昔から知られていました。日々の狩りや移動生活などのハードワークを、彼らは負担だと考えていないようなのです。
その代わり、多くの狩猟採集社会は、日々の仕事を「遊び」に近いイメージでとらえています。
野生の動物や植物を狩り、獲物に応じた料理法を工夫し、移動先で見つけた木材で住居を作る・・・。
これらの作業は、彼らにとってあくまでも歌や踊りと似た娯楽の一部であり、すべてはRPGやシューティングゲームで遊ぶような感覚として体験されます。
狩猟採集社会では「遊び」をことのほか重視しており、幼少期から徹底的に「ゲーム感覚」が叩き込まれます。
ボストン大学のピータ・グレイ氏がアフリカのカラハリ俗やナロ族を対象に行った調査では、たいていの部族は子供が4歳になったころから積極的に遊ぶように働きかけ、夜明けから日暮れまで仲間と好きに過ごすように指示します。
その間は完全に放任で、大人は子供のやることに口を出しません。大人をまねて猛獣を狩りに出かけようが、森の奥に秘密基地を作ろうが、バナナの葉を使ったブランコに乗ろうが、何をするのも自由です。
「遊び」の期間は14~15歳まで続き、それからようやく子供たちは大人の狩猟に同行を許されます。狩猟採集民の子どもたちは、長きにわたって遊びながら暮らすわけです。
グレイ博士は、フィールドワークの成果を、こうまとめています。
「すべての狩猟採集民は、大人も子供も、つねに大量のユーモアと遊び心を表現しながら過ごす。遊び心をユーモアが狩猟採集社会の根底にあるのは明らかだ。「遊び」は単に毎日の暮らしに楽しみを与えるスパイスではなく、部族の平等を維持し、平和を保つための重要な手段だ。それによって、彼らは生きるのに必要な環境を整えるのだ」
遊びは仕事の息抜きではなく、それ自体が生存の必須条件になります。
狩猟採集民にとって、遊びと生活はイコール。遊びのために生きるのではなく、生きることそのものが遊びなのです。
それでは、もし私たちが「遊び」を奪われたらどうなるのでしょうか?
いくつかの動物研究で、その恐ろしさが確認されています。
2011年には、アメリカ国立研究所が、年老いたサルしかいない檻のなかで子供のアカゲザルを育てる実験を行いました。年老いたサルは体力がないため、かわいそうな子ザルは1日の大半をひとりで遊ぶしかありません。
数年後、成長した子ザルは、他の個体と違う反応を見せるようになりました。
普通に育ったサルを新しい檻に移すと、通常は好奇心いっぱいに周囲の環境を探索し始めます。ところが、遊びを奪われて育ったサルは極度におびえたしぐさをみせ、檻の隅に縮こまったまま動かなくなったのです。
アカゲザルの結果をヒトに当てはめるのは危険ですが、心理学者のレネ・プロワカ博士が4100人に行ったインタビューでも、「人間の遊び心は幸福度と高い相関がある」との結論が出ています。簡単に言えば、遊び心がある人ほど、幸福な人生を送っている傾向があったわけです。
心理学でいう「遊び心」とは、どんな状況でも、楽しさやユーモアを使って解釈できるかどうかを意味します。まさに狩猟採集民が日常的に発揮している能力です。
プロワイエ博士は、「それぞれの年齢にあった『遊び』は、人生のストレスに立ち向かい、ポジティブな感情を引き出す裁量のリソースになり得る」と指摘しています。遊びの内容はなんでもよく、自分が安心して取り組める趣味を見つけるのが、狩猟採集民の日常感覚に近づく最初のステップです。
が、たんに「趣味を増やそう」と言っても本質的な解決にはならないでしょう。いかに大好きな趣味を見つけても、それ以外の時間がつまらないようであれば、たんに逃避の場にしかなりません。
現代人の問題を解決するには、仕事・育児・勉強といった人生のあらゆる面を、「遊び化」していく必要があります。
毎日のように通勤ラッシュにもまれ、顧客に頭を下げながらいやいやながらの残業をくり返し、帰ったらシャワーを浴びて寝る・・・。
そんな当たり前の日常を、出来る範囲で遊びの場に変えていくのです。
(参考文献 最高の体調 鈴木裕 P 244抜粋)